④基本教理:かしもの・かりもの

前回、全生命が親神様の十全の守護によって生かされていることを確認しました。では、私たちの身体は一体誰のものなのでしょうか。自分のものに決まっている!普通はこう思いますよね。今回は、この所有者という観点から掘り下げていきます。

かしもの・かりもの

朝起きて出勤し、午前中に上司と打ち合わせ。午後に会議と残りの仕事を済ませ、夜は家族でディナーに行こう。私たちは毎日様々な意思決定をして生きています。その大前提となるものは、健康な身体です。もしも病気や怪我をしたら、誰しも思い通りに動くことが出来ません。
・・・実はそれ、自分の身体が自分のものではない証なのです!

親神様が人間を生かしているということは、人の身体の所有者は親神様であるということです。親神様は人間に身体を貸し、人間は親神様から身体を借りている。これをかしもの、かりものといい、この感性が私たちの人生を大きく変えます。

感謝

例えば、自分の車を運転するときと友人の車を運転するときでは少し気持ちが違います。おそらく、友人の車を運転するときの方が大切に、そして慎重になりますよね。借りている車だから傷つけてはいけない、と。
同時に、車を貸してくれた友人に対して少なからず感謝の念を抱きます。なかには、返却するときに菓子折りでも持っていこうという人もいるでしょう。
これは私たちの身体についても同じことがいえます。借りている、与えられていると思うからこそ、毎日元気でいられる有り難さを実感できる

言い換えると、生きているのではなく生かされているのだと気づいたとき、自分の心の向きが変わるのです。本当の幸せは何か特別な出来事などではなく、日常の中で「自分は生かされているんだ!」という事実に気付き、自らその喜びを味わったときに訪れます。

報恩

そして天理教が、その感謝に気づいた人々に対して示す具体的な報恩の形は、人をたすけることです。つまり、陽気ぐらし(他者に手を差し伸べる美しい心と行動)の実践が、親神様への恩返しとなります。

今、与えられているものに感謝し、人には親切を尽くす。
いつの日も、そんな心温まるお互いでありたいものです。

次項リンク

[kanren2 postid=”291″]

目次
閉じる